今日はですね、物事の取り組み方についてです。
「ランボー」と書いたのは、 スタローンのランボーではなくて、
「乱暴」の方の意味です。 でも、ここでは「暴力」という意味ではなく、
なんでも「ラフ」にやってみよう、というすすめです。
逆の言い方をすると、 完璧主義だと聞こえはいいですが、
そのままだと最後の完成まで辿り着かないことが多いわけです。
なので、気楽にかつ適当(適度にやる)にやっていきましょうよ、
というすすめです。 以前、シナリオの取り組み方でこんな話を聞いたことがあります。 「Aさんは、原稿用紙の使い方とか、段落の分け方とか、すごくきっちり書いてくる。
一方のBさんは、そういったものはダメだけれども、とにかく書いてくる。
この両者の場合、どちらの方が伸びる可能性があるか」というものです。
で、その方がおっしゃるには、Bさんの方が、
伸びる可能性が断然高いそうです。磨かれてない原石なのでしょうか。
書式や体裁など関係なしに書き上げてくる。
だから、見た目は不揃いで読みずらいのですが、
原稿用紙の中の登場人物からパワーを感じられる。
さらに、私もその方から言われ、常に念頭においていることは、
「原稿用紙を破ったら、そこから血がでてくるのか」 というものです。
そのくらい二次元の登場人物は、紙の中で生きているか、
そのくらい生き生きと描かれているか、ということです。
そこには書式とか段落とかは、あまり関係がありません。

これは機材についても同じことが言えると思います。
特にカメラや編集ソフトなどは、毎年ものすごく進歩しています。
映像が肉眼で見た時よりもきれいで、 その鮮やかさに驚かされます。
しかしながら、その鮮明な映像に匹敵する素敵なドラマが沢山あるかというと、
かなり疑問が残ります。 映像だけはきれいなのに、 話に中身がない、
と言われては 文字通りの本末転倒になってしまいます。 音でもそうですね。 ある方は、デジタルで制御された曲に対して、
「私は音を聞きたいんじゃない。音楽を聴きたいんだ」と。
少し話はずれますが、 私はどういうわけか1930年代のクラシック・ブルーズを聞くのが好きなんです。
録音は悪いし、音はかすれているしと、 音的にはいいところはないんですが、
なぜか当時のブルーズには、 魂に心地よく飛び込んできたり、
時には激しく突き刺さるような音楽が多い感じがするのです。 人はなにかと体裁や準備が整ってないと、
失敗を恐れてなかなか行動できず、
そのうちにやらずに終わってしまうことが多いのですが、
そこは「ランボー」にでもなったのごとく、
とりあえずやってみる。
するとそこから何か違ったものが見えてくる。 テクノロジーが発達した今だからこそ、
人間が放つ「気」や「波動」で 再び周りを社会を元気付けたいんですけどねえ、、、。
これって「昭和」ですかね。
Have a wonderful day!